愛することをためらう理由

愛することをためらう理由

こう書くと、つらいね〜
ああ〜せつないね〜

男女の愛だけでなく、人間愛に対しても
ためらうことの多い世の中。

今日テレビで、バーチャルの世界が主だという女性の方が
「生身の人間との時間を大切にした結果、本来の自分を見失ってしまった」
と言っていました。
きっと周囲に合わせすぎてしまったのでしょう。
この気持ち、きっと頷ける方も多いのでは。

愛することをためらう理由

でも、ためらった時点で、もう愛してしまっているのかも。
あなたも。私も*



突撃

今日の夕食はおでん!
と焼き魚!
と納豆!
とビールと酎杯

なんだか飲みたい気分です。
ぱ〜っとしたい(笑)

友人が鬱病です。大好きな友人です。
鬱病を知っているようで、知らないので今日本屋さんで
「ツレがうつになりまして」っていう漫画本を立ち読みしてきました。

最近は心の病の方が多く、
もっと昔もそうだったのでしょうが、本屋さんにその系統の本が並んだり病名が知れ渡りはじめたのは、ここ数年の間です。
心の病は、心の弱い人がなるのでなく、頑張りすぎやさんの方が、神様から休みなさいという指示を得てなるような気がします。

でも悔しいですね。頑張りすぎて、病気になってしまうのだったら
もう、日常、適当に生き抜きして
他人のいやみやチクチクなんかにとらわれるなんてもってのほか(←そんなのに悩んで時間を費やすのも惜しい)

ということで、大好きな友達をうつに追い込んでしまった周囲の環境に対してと
私は絶対に負けないぞと、友達のカタキをうつつもりで
今日はパーっと飲んで突撃に備えます。(←何のこっちゃ?



ラジオ局のBGM

局のBGMを制作中

カラオケやクラシックとは違った作りで
はじめの4小節〜8小節がメイン

あとはドラムとちょこちょこっと(笑)

おもしろいですよ〜

カラオケや舞台音楽とはまた違った楽しさです

血液型

よく血液型を聞いてくる人がいるけれど
血液型って、何かの参考になるのkana〜?

私自信でいえば、几帳面なところもあれば、なあなあなところもあったり、ちょっとかわっているところもあるかもしれない。

几帳面な私を見て
「何型?」って聞かれて
「A型」って答えると、「あ〜やっぱりね〜」といわれる。

なあなあな部分、おおざっぱな部分を見られて
「A型」って答えると
「へ〜〜!?そうなの?」って言われる。

ちょっとかわった部分を見られれば
「B型(AB型)?」って聞かれる。

別に、だいたひかるの「どうでもいいですよ〜♪」なのだけれど
A型の私としては、「A型」って答えて「ああ〜やっぱりね〜」って言われるのは気分的にどうもしっくりこない(苦笑)

たぶん、18才までまじめ1本だったので
「まじめ」と思われるのにすごく抵抗があるのかもしれない。
だからA型以外の血液型を尋ねられたときは(してやったり!)と心でにんまりとしている。

ああ〜、私、まだまだ青いなあ〜*

人生の勝ち&負け

『経験や立場・地位は人を育てるんじゃないのかなぁと思っていたけれど、人それぞれだった』
というようなことを、お世話になっているYさんがブログに書いていました。

私も、人それぞれかな〜って思います*
地位や立場が育てるのはその人の「たてまえ・口だけ・見かけだけ」で、人生の苦しみ・悲しみなどの経験が人を育てるのだと思います。
もちろん、中には「その立場」に行き着くまでにした様々な苦い経験を踏まえてすばらしい方もいらっしゃるけれど。

 でもきっと、「その立場」になってしまったら「口だけ・見かけだけ」の方々は、周囲のチヤホヤによって大事なものを忘れてしまうのかもしれません。

 人生に勝ち・負けはないと思うけれどあえてあるとすれば、人生の勝ちは死ぬ瞬間までわからないのではないかなと思います。死ぬ間際、自分の人生に悔いがなくて、楽しい思い出がたくさんあって、愛した人がたくさんいて、そして死んだ後、惜しまれる存在。

 人生「勝ち&負け」というよりは、勝っても幸せでなければ意味がないかなと思うこのごろです*


ピンクのエルメスと電車男

わたしが通勤で乗るバスに
ピンクのTシャツと白いスカートをさわやかに着こなす女性が
ときたま乗ってきます

なぜか、いつも私の座っている1つ前でつり革を持って立っているので
顔は見たことがありません

でも斜め下から見上げる彼女の姿は
まさしくテレビで放映された電車男でのエルメスを演じた彼女を思わせる雰囲気

そして、マニキュアを塗っていない、
きちんとつんである爪には 素朴さを感じてますますいいかんじ
(↑これでは、まるで私が電車男

私がバスを降りようと立ち上がると彼女も前へ歩き出し
(もしや顔が見れるチャンス!)
と急ぐが早いか、私の日傘が椅子にひっかかり、エルメス女はバスを下り、
あわてる私。

そして、エルメス女の遠くかなた後ろ姿を左に見ながら
局までの20分をのたりまったりと進む私でした(沈)

PS・・・エルメス女関係なく今日はなんだかブルーな一日でした〜(苦笑)*
唯一嬉しかったのはHPのサーバーの容量が現在120Mなので
大きくできるか電話をしてみたら、無料で100M追加してくれた〜
・・・で現在、フラッシュ作成に凝っています

縁とコネと名刺配りと(笑)

自営で、音楽制作をはじめた当初は、
とにかく必死だったな〜

袖がかすっただけでも名刺を配るようなかんじ
(ちょっとおおげさかな?

でも、なんですね
最近、全然肩の力がぬけていい具合です*
無理に縁を作ろうとしても、あまり意味はないんですよね。

それがわかっただけでも、今は楽です。
でも必死でもがいていると、「いいご縁」に恵まれたりします
そのときは、有難いと心から感謝です

そして世の中の誹謗・中傷や人に嫌われる行為についても、考え方がかわりました。
私が現在勤務しているラジオ局のDJの方のエッセイにこう書かれてあったのです。
「オーラを放つ人は往々にして自分に自信を兼ね添えている。非難・中傷・世間体を気にする人は強いオーラは発しないかもしれない」

何もしなくても、「私」という人間を好いてくれる人もいれば、嫌う人もいます。
自分をだしたら(表現したら)、その威力はさらにです。
ですが、周囲を気にして自分のオーラをかくすのは心にも悪いですし、損です。
ただ、苦手かも〜と感じた人の側には、(誰に非があるわけでもないので)
あまり近づかないようになりました。

・・・ということで
現在、勤務しているラジオ局では自分らしく居ます。
居心地いいです。

平和です

20分

私がバスを降りて、ラジオ局の勤務開始時間まで20分の時間があります

私は普通に歩けばバス停から局まで6分でつく距離を
あちこちより道しながら20分かけます(苦笑)

・・・で、昨日はザビエルの教会に初めて入ってみました。
もの静かで、聖域という雰囲気です。
公衆電話機も大正時代を思わせるようなレトロなものでした

そのロビーに本棚があり、その中の「うつ病」に関する著書を少しだけ読ませていただきました。
現在私の友人が鬱病のためです。

彼女は今年の初めまでは、ほがらかで元気で
パソコンの講師などをしていました
(・・・で私はその助手のバイトをさせていただいたことがあります

著書の一部にこう書いてありました。
「何事にもくよくよせず楽天的に生きていけたらどんなによいだろうかとあなたは思うかもしれません。しかし、あなたが夢想するような人は自分も苦しまない代わりに他人の苦しみも分からないのです。」

現代人は心が病んでる人が多く、自責の念にかられれば、かられるほど、その生き方は苦しいものになってしまいます。

心理学で学んだことがありますが、「躁鬱」や「欝」はすべての人がもっているもので、
それが病となるかどうかの境目については、判断が難しいとのことでした。

他人の苦しみがわからない人間にはなりたくありません。
しかし、病に伏せるまで自分を苦しめてしまうのも哀しすぎます。
「心の病」は自分との戦いです。
それを脱したとき、周囲への見方・考え方もかわるでしょうし
「心の病」をかかえている人への気持ちにも寄り添えるでしょう。

どうして、そんなことが言えるのかって?
私も10年前は過食症で悩んでいたからです